ゼロと言う女 9
帰宅途中の駅のトイレで私は私の仮面を被る。
ううん、違うわね。私は私の仮面を外すんだわ。
野暮ったいスーツに、黒渕のメガネ。
化粧を落とし、現れてくるのはドコにでも居る普通の顔の普通の女。
自分でも溜息が出るほどに野暮ったい女。
デパートの紙袋に詰め込んだ私の夜の姿はコインロッカーの中にしまわれる。
【ゼロ】という存在はこの駅から先に存在しない。
この先に存在するのは零那という野暮ったくって、冴えない事務員。
道を歩いたからといって誰も振り向く事は無い。
別にね、それは悲しい事じゃないわ。
だって、誰もが本当は数多くの中のひとつ。
ばら撒かれた1つの碁盤の碁石の中に別の碁盤の碁石を入れるようなもの。
ただ、数が多くなっただけで見分けはつかない。
多数の中の特別なひとつの存在になるなんて、たった一握りの出来事。
そういえば、誰かが歌っていたわね……そんな事を。
確かな事でロマンチックな一節ではあるけれど、私はその歌詞に頷きはしないわ。
だって、誰もがどこかで自分が唯一、一番の存在になりたいって思ってるものじゃないかしら?
それがたった一人のためであろうとも、その一人の人の中で一番で自分だけという存在になりたいと……。
古びたアパートにたどり着けば、私はすぐに冷水を頭から浴びる。
古いアパートにあるのは湯沸かし器についた小さなシャワーで、水の勢いは殆ど無い。
今ではただ、湯沸しにくっ付いている飾りになっている。
蛇口をひねり、洗面器に一杯の水を溜め、その後、湯船にお湯を張り、洋服を脱いで風呂場へ。
お湯の湯気が徐々に風呂場に立ち込める中、ゆっくり深呼吸をして、頭から洗面器の水を被る。
「ぅくっ!」
冷たい水は顔を通って、肩から全身に降り注ぎ、私はその冷たさに言葉を飲み込む。
小さな湯船だが、水流の弱いこの蛇口から出る湯では溜まるまでしばらくかかる。
私はその間、水で濡れた体そのままに風呂場でじっと瞳を閉じてその寒さに身を委ねるのだ。
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