十字街

<Sweet Orange Story

  Life めぐり会う言霊>

鏡屋 26

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例えそれを知るためとはいえ、私は今の生活、今の容姿以外の場所に戻るつもりはサラサラない。
「知らなくて良いわ、必要ない」
「ほぉ、いらないと?アナタにとって大切な事かもしれないのに?」
「必要は無いわ。だって、この2ヶ月近く無くても私は生活してきたし、なくして大切なものなら必要だと思うだろうけど、ただの一度もそれを思ったことは無かった。つまり、そう言う事でしょ?」
開き直ったように言う私に鏡屋は少しあきれたように瞳を閉じて口の端を少しあげ、フッと息を1つ漏らしたが、そのままクスクスと笑った。
「そうですか、まぁね、そういうとは思ってました。アナタが少しは変わったかと試しただけです」
「試した?!……趣味が悪いのね」
「そうですか?フフ、ま、いいでしょう、では、契約書にサインをいただく前にキチンとご説明しなければなりませんので、アナタが無くしてしまったもの、アナタがいらないといったものについて説明いたします」
「必要ないわ。いらないって言ったんだから、別に聞かなくても契約書にサインすればいいでしょ」
「そうはいきません。コレはこの十字街で店をやっていく際の条件の様なもの。説明をせずに契約すれば私がこの十字街から追い出されてしまうんですよ」
笑ったままチラリと瞳を私の方に向けて、片眉を上げた鏡屋は右腕を地面と水平に自分の体の横に差し出して、パチンと指を1つならす。
すると、地面から丁度上半身が映る位の楕円形の鏡が1枚現れて、フワフワと空中を漂った。
「アナタがこの契約書にサインをした時点で完全になくしてしまうものは、この鏡に現れる人物と……そして、その人物に由来するアナタの心です」
鏡屋の言葉を聞いて、私は視線を鏡屋から現れた楕円形の鏡に映す。
鏡の中には、陽炎の向こうから何か映像が現れてくるようにグレーのこの部屋を映していた鏡に色がついていった。
(人物?なくすって言われたから物だとばかり思っていたけど……人なの??)
徐々にハッキリしていくその映像に私は、眼を凝らし、一体誰なんだろうかとハッキリするまで待てばいいのに一生懸命にその人物と言うものを思い出そうとする。
いつの間にか私はかぶりつくようにボンヤリと姿を映しつつある鏡ににじり寄っていた。
「クスクス……その様に急がなくても、姿をあらわしますよ」
鏡屋の言葉に私ははっとして身をひき、フンと顔をそらせたものの、その視線は鏡に向いている。
先ほどまで知る必要は無いと、あんなにはっきり言い放っておきながら、知る事が出来るとなったら誰なんだろうと思考をめぐらせ、鏡を必死で見つめる私。
鏡屋に言われなければ、きっともっと必死に鏡を覗き込んでいたことだろう。
(……何て現金なのかしら。私って)
半分自分自身に呆れながらも、鏡を見つめ、その鏡に映し出された人物を見て私は声を上げた。
「あっ……この人は……」
そう、その鏡に映し出されたのは以前、電車で私を痴漢から助けてくれた彼。
「どうして……彼が私の大切なものなの……」
驚いて呟く私の視界の隅に鏡屋のニヤつく笑顔が映っていた。

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